2012/10/29「映し鏡」消費。

FabCafeという時代的モノづくり拠点に関わることになったのは、偶然なのか、無意識の選択だったのか。それはよくわからない。でも、この数年、自分の頭のなかでグルグルしてきた今の時代的消費のあり方やものづくりについて、FabCafeを通じてさまざまな人と出会いさまざまな考え方に向き合ったことでさらに考えを深めるきっかけになっていることは間違いありません。時代はひきつづきもの凄い速度で変化しています。90年代2000年代の変化は、変化を先導する人たちの間でだけ共有されるものであったのかもしれません。でも、現在の変化は、地球的規模で共有される大きな空気。FabCafeの関わりは、そうした世界的空気の共有を強く意識させられるものです。渋谷道玄坂で誕生したジャパンローカルなカフェなのに、その反応は海を超えて、アメリカ、オランダ、ノルウェイ、台湾などなど世界中のさまざまな都市で暮らす人たちからメッセージを受信し、一緒にやろうっていうラブコールを受けている。なぜ、世界はこのカフェにそんなに反応してくれるのか。モノづくりカフェというカタチに反応するのか。みんなの意識の中に何が起こっているのだろう。

ものづくり領域で起こっている文脈

Do It Yourself。日本でもホームセンターとかの看板に掲げられてきたものづくりのキーワード。たぶん何10年も前に開発され、その時代キーワードとなった言葉です。アメリカの家庭には広い敷地に大きなガレージがあって、その中には2台の大型アメ車だけでなく、日曜大工するお父さんの城がある。大きな作業テーブル、壁にかかった電動ドリルを始めとする電動工具の数々。山奥に住むお父さんの中には、チェーンソーを所有していることも珍しくない。アメリカには、そうした環境があり、家をメンテして使う文化があり、休日を家で過ごすライフスタイルがあり、そうした暮らしをしているたくさんの人がおり、その人たちが使う膨大なお金があり、そのお金に支えられたビッグマーケットがあります。日本ではホームセンターや東急ハンズが束ねてきた市場ですが、アメリカにおけるそれは、日本では想像もできない大きさと内容とパワーをもっています。先日日本でも発売されたクリスアンダーソンの「MAKERS」は、DIYの延長線上にある次の流れをテーマにしています。技術が進化し、ハードの価格大きくをさげたことは、ガレージモノづくりのありかたを大きく変え始めています。レーザーカッター、3Dプリンター、CNCなどの専門的工作機械が、普通の家庭に安価に入り始めている。さらに、ネットワークされたお父さんや子供たちは、データをシェアし、スキルをシェアし、ネット上の仲間たちと知見をシェアしあうことで、ひとりでは実現できないことも実現できるようになっている。Do It With Others=DIWO。FabCafeへの関心の高さは、その流れと濃くつながっています。

時代的消費のあり方について、何人かの気になる人たちが気になる文章を書いています。

元MITメディアラボのジョン前田さんの文章。

現在、人々はテクノロジーやデザインを超えたものを欲するようになっている。単なる移動手段としての4つの車輪やハンドルを欲しているわけでもなく、あるいはどこにいても常に音楽や情報に取り囲まれていたいと考えているわけでもない。いま彼らが求めているのは、自分の価値観を思い出させてくれるような方法──つまり、この世界のなかでどのように生きることができるか、どう生きるつもりか、どう生きるべきかという価値観を思い出させてくれるものである。(中略)われわれがジョブズの手がけた製品を買うのは、単にその機能性や優れたデザインのためではなく、彼の作品の完成度の高さに対する敬意の気持ちからである。つまりわれわれは、彼がつくり出そうとしていた未来に対するビジョンや、そのビジョンが表す価値観を受け入れ、それに対価を支払っている。だからこそ、われわれは少々高くとも喜んでお金を払うわけだ。物事の不完全さが明かされることがますます多くなっている世界のなかでは、そうした価値観を堅持し続けることはわれわれにとって最も重要なことである。われわれは責任を持ってつくられ、偽りなく販売された製品を買いたいと思う。そしてまた、単なるアルゴリズム(計算処理)から生まれたものではなく、自分たちの如く人間の精神から生まれてきたものを買いたいと思う。

ジョン前田さんが思い描く消費は「この世界のなかでどのように生きることができるか、どう生きるつもりか、どう生きるべきかという価値観を思い出させてくれる」消費

そして、FrancFrancの社長の高島さんがGOETHEの中で書いていた文章。

これかの社会、特に日本のように生活文化の成熟した社会にとって何が必要なんだろう。もう実用だけではつまらない。日常を豊かに導く新たな価値が必要なのだ。そしてそれは決してハードではない。モノの裏側にある別な価値が伴ってこそ、付加価値という新たな価値観が形成される。先だって、近所にある家電量販店に行ったが、久々に行ってTVの薄さに驚いたし、その安さにも驚いた。それでも売れていないのか、店員が寄ってくる寄ってくる。もうTVは悲しい商品になってしまったんだなとあらためて感じた次第である。40年ほど前から家庭に入り込んだTVという商品に誰も共感しなくなったのである。それは、スペックだけに走り続けたハード、つまらないバラエティ番組を流し続けるソフトとともに、魅力を感じないからである。
最近はアメリカのEtsyというネット通販にはまっている。そう多くを買っているわけではないが、そのセンスや商品に共感するし、買わなくても見ているだけで楽しい。対照的に、これでもかこれでもかと品揃えしてきた大手のネット通販。「なんでもあります」が「欲しいものがありません」化してきているのである。

高島さんの思い描く消費は「決してハードではない、モノの裏側にある別な価値の消費」

ユニクロとユザワヤの不思議な関係

最近どうやら、手芸用品の老舗「ユザワヤ」さんがユニクロ横を選んで出店しているらしい。たしかに新宿駅南口の高島屋ビルには、ユニクロとユザワヤが並んで出店してる。ユニクロでシンプル&リーズナブルなアイテムを購入し、ゆざわやさんでそれにオリジナルな細工を施す材料を買って楽しむ。そういう買物をする人が増えているらしい。だから「ユザワヤ」さんは戦略的にユニクロ横を狙って出店している、と。サラファインも、ヒートテックも、フリースも。その流れではあらゆるユニクロ商品が「マイオリジナルアイテム」をつくるためのマテリアル。シンプルだし、カラバリは豊富だし、素材もいろいろあるし、品質は悪くないし、ユニークな新素材もあるし、リーズナブルだし。プチカスタマイズするマテリアルにはもってこいの素材ということなのだ。

ユニクロXユザワヤで展開されている消費は「大量生産商品の私ハック」消費

震災発生の数年前から、ソーシャル消費という言葉を多方面で聞くようになりました。

どうせ買うなら社会のためになるものを買いたい。どうせ買い替えるなら、環境に配慮した商品を買いたい。それも成熟した消費社会のひとつのあり方です。その流れは震災以降、日本でも強く意識されるようになってきました。2011年7月に発売された書籍「スペンド・シフト<希望>をもたらす消費」の中では、「見栄や贅沢のための浪費」を嫌い、「より良い社会を作るための消費」にシフトしているアメリカ市場の流れが膨大な調査データをもとに解き明かされていました。

(amazonの書籍解説文より)
人びとは買わなくなったのではない。自分を飾るより自分を強く賢くするためにお金を使うようになったのだ。希少な「購買力」を「投票権」のように行使して、社会に希望をもたらし、人の絆を強めるようなモノやサービスを支援することも覚えた。「宣伝に踊らされてお金を落とす」移り気で受身のかつての消費者ではなく、「自分の意思で目的をもって対価を払う」能動的で思慮深い新しい消費者の姿が、著者らが2年をかけて全米をくまなく歩いて調査した数々の事例から浮かび上がる。こうした「行動する消費者」を味方につけた企業は、不況下でも大きく成長している。
◆これがスペンド・シフトだ!◆
・自分を飾るより⇒自分を賢くするためにお金を使う。
・ただ安く買うより⇒地域が潤うようにお金を使う。
・モノを手に入れるより⇒絆を強めるためにお金を使う。
・有名企業でなくても⇒信頼できる企業から買う。
・消費するだけでなく⇒自ら創造する人になる。

ソーシャル消費文脈で語られている消費は、「社会のためになるものを自ら意志をもって選ぶ」消費

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もろもろの消費を、全体俯瞰してみましょう。

FabやMakersの流れにある消費は、「欲しいプロダクトは自分でつくる」消費。ジョン前田さんが思い描く消費は「この世界のなかでどのように生きるかという価値観を思い出させてくれる」消費。高島さんの思い描く消費は「決してハードではない、モノの裏側にある別な価値」の消費
ユニクロXゆざわやで想定されている消費は「大量生産商品の私ハック」消費。ソーシャル消費文脈で語られている消費は、「社会のためになるものを自ら意志をもって選ぶ」消費。

次の消費をテーマとしながら微妙に違っているそれぞれの論点。
そこに共通するキーワードはなんだろう。共通してコアにあるものはなんだろう。それらを全体俯瞰できる1レーヤー上の整理概念はなんだろう。FabCafeをスタートして以降、ずっとそれを考えてきました。

「映し鏡」消費。
自分はそれを、「映し鏡」消費と置いて自分アタマを整理しはじめました。

ネットワークが生まれて大きく変わったこと。それは、人々が自分をまん中に置いた関係図を、無意識にイメージし始めたことだと思っています。かつて国とか村とか会社とか、大きな存在を前提にその中の一員として意識されていた個人は、その枠組みが多様化し、同時に国も会社も趣味のコミュニティもフラット化する流れの中で、多様なつながりのまん中にある個人が意識されるように変わってきました。世の中が変化して国や会社のあり方が変われば変わるほど、結びつくコミュニティの数が増えれば増えるほど、変わることなくそのまん中にある自分性がより意識される流れ。メールもブログもSNSも、人々はそれらメディアに発信される自分がどのように返ってくるのか、その返りを強く意識しています。それらを自分鏡のように使いながら、自分の社会的位置をチューンしています。SNSの登場以来話題になってきたソーシャルグラフ的関係図は、SNSが始まるずっと以前から、みんなの心の中には無意識のうちに意識されるようになっていたのだと思います。その意識のさらなる進化の中で、震災等の大きな社会変化のなかで、そのイメージが「消費」の領域にも色濃く反映されてきたのが今の流れなのだと。

メール、ブログ、Twitter、Facebook、そしてプロダクト。自分性を発信し、そこに映しだされる自分性をチューンする流れは、プロダクトの領域にもやってきた。その流れはずいぶん前に始まっていたという指摘はあるでしょう。その通りです。でも、その流れが世界全体で強く意識され始めていること、ソーシャルな時代文脈がその意識をより強いものにしていることは間違いない。「この世界のなかでどのように生きるかという価値観を思い出させてくれる」は、自分の価値観を映す対象としての消費。「決してハードではない、モノの裏側にある別な価値」は、モノの裏側にある意味と自分性を重ねあわせる消費。「大量生産商品の私ハック」は、大量消費商品に自分性を映し出す消費。「社会のためになるものを自ら意志をもって選ぶ」は、そこに映る社会と自分の関係を表現する消費。

ソーシャル消費の文脈は、いわゆるブランドを崩壊させるという議論もあります。でもそうでしょうか。自分を映す時代的あり方のひとつが「社会のためになる」ということであって、すべてのものが「社会のためになる」軸をもとにつくられていなきゃいけないわけではありません。もちろん表面的見栄や虚栄心のためだけのブランドは力を失っていくかもしれません。でもそれは、表面的見栄や虚栄心のためにつくられているものが自分性を映したいものにはなりえないからダメになるということだと思います。自分性を映せる提供価値がそのブランドに明確に存在していれば、そのブランドはブランドとして生きつづけるのだと思います。ビトンもエルメスもコムデギャルソンも、そうした旧来からあるブランド消費文脈が、ソーシャル消費の時代変化とともに消えてなくなるとは思いません。

自分性を映せるか。映し鏡としての消費を意識できるか。その意識と時代チューンを自分たちのものづくりの中でどれだけ意識できるのか。どれだけ独自にそのあり方を設計できるのか。そこが問われる時代。いろんな仕事やプロジェクトを、そうした整理で考えるようにしている今日この頃です。その根源的意味に向き合うことが、多様なプロダクト企画に意味ある着地をもたらせるのだと信じています。